震生湖の太鼓橋
震生湖の橋の正式名は「太鼓橋」ということを、25年通っていながら初めて知りました。
今年2023年9月は震生湖誕生100周年となります。
記念イベントなどあるのか調べてみると、何とこの橋は来年架け替えられる予定で、今年9月にはその完成イメージ図の披露があるのです!
詳細は秦野市の「政策会議付議事案書(令和5年1月10日)」に記載がありますが、この公的文書に「太鼓橋」と明記してありました。
おそらく、もともとは正式名称は無く、橋のスタイルが「太鼓橋(アーチ橋)」だったことから通称で太鼓橋と言われていたものがそのまま正式名になったのかもしれませんね。
この議事案書を要約すると、
- 太鼓橋は老朽化が進み架け替えの必要があるがいつ橋が作られたか記録は残っていない
- 昭和38年6月2日の神奈川新聞で、太鼓橋の前にあった橋が取り外されたとの記事
- 昭和41年10月の秦野市勢要覧に現在の太鼓橋の写真が掲載
とあり、今後に関しては、
- 令和5年4月~ 地質調査及び詳細設計
- 令和5年9月 震生湖100周年記念式典で橋完成イメージ図の披露等
- 令和6年2月~ 架け替え工事
とのことです。
いつ作られたのかが判らない、というのは不思議ですが60年近くは経っているようですね。
そこで国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみると、「湖の旅 (トラベル・シリーズ ; 第36)」に震生湖の紹介があり、104ページに何と太鼓橋の前に架かっていた木橋の写真があります!
かなり簡易的というか壊れそうな木橋で。。。
記事を読むと当時の震生湖は水位の増減が激しかったようで、撮影時は橋の下に水は無かったようです。その奥、小池側にはボートがあります。
この本は昭和37年7月の発行なので、木橋の写真が撮られたのは昭和36年頃でしょうか。
議事案書の記載内容と年代的な整合性はありますね。
ちなみに震生湖の紹介記事にはさらに興味深いものがあり「湖畔には旅館一軒、休憩所一軒」とあります。休憩所はかつての川福売店かもしれませんね。しかし旅館まであったとは。
そんな感じで昔の震生湖の様子がちょっと判ったのも嬉しいところですが、新しい太鼓橋はどんなスタイルなのか、9月を楽しみに待ちたいと思います。
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